2014年5月11日日曜日

トンカツと鼻血

アメリカで成功を収めた男には、忘れられない味があった。明日の生活が見えなかった若い頃、偶然に知り合った親父が自分の店で振る舞ってくれた「トンカツ定食」。腹が空いていただけではなかった。ラードで丁寧に揚げられたトンカツが、とびっきり美味かった。遠慮も忘れて、ガムシャラに食った。

あの日から数十年。いつしか親父と連絡が付かなくなり、思い出の店もなくなってしまった。あのトンカツをもう1度味わいたい。いや、世話になった親父にもう1度会いたい。帰郷を前に、男の思いは強まっていったーー。

そんな男の思いに応えたのは、料理の腕が立つ風変わりな新聞記者だった。ある店先で、再開を果たした二人。味の決め手「ラード」まで知り尽くしていた新聞記者は、必要な全ての食材を整えた上で、親父にトンカツを作るように促す。「作ってみるか」。店を手放して久しかった親父は歓喜して、腕を振るった。

時を経て再現されたトンカツ定食。アメリカで成功を収めた男は、その変わらぬ味を確認すると、親父を店の外に連れ出した。すると、店の看板には、親父が手放さざるを得なかった店名が刻まれていた。「僕からのプレゼントです。受け取ってくれますよね」。

出来すぎた展開かもしれない。店ごとプレゼントする慈善者など、本当に存在するのかと。だが反面、私は心を激しく揺さぶられた。一つの料理を通じて、ここまで人間ドラマを浮き彫りにできるアニメがあることに。

「福島に鼻血が出たり、ひどい疲労感で苦しむ人が大勢いるのは、被ばくしたからですよ」。そんなセリフを含んだ漫画が波紋を広げている。「私は自分が福島を2年かけて取材をして、しっかりとすくい取った真実をありのままに書くことがどうして批判されなければならないのか分からない」。そう言う作者の姿勢からは、取材に裏打ちされた自信が滲み出ているように思える。

2年をかけた取材ー。当たり前だが、取材の深度は費やした歳月に比例されるものではない。現実を公平に掬い取ろうとする真摯な姿勢に比例するものだ。その姿勢がなければ「真実」など、掬い取れるはずがない。鼻血を否定する大多数の福島県民の声に気付けなかった作者には、表現者なら誰しもが持つべき、持たなければならない姿勢が欠如していると言わざるを得ないのかもしれない。

だが、少なくとも私は、そうは思いたくない。ありふれたトンカツ定食を通じて、あれ程の人間ドラマを生み出せる作者だ。いくら年老いたからとは言え、人の内面を映し出せる力に衰えはないと信じたい。過去の名エピソードは読み手のためだけに、あるのではない。それを作り上げた書き手にも、等しく拓かれているはずだ。まだ遅くはない。今なら、まだ間に合う。「トンカツ慕情」は、今こそ読まれるベきだ。

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