2012年1月16日月曜日

さらば ソニー?!


ソニーが好きだった。中学生時代、少ないお小遣いを貯めて手に入れたCDウォークマン。表面に刻まれた「SONY」の4文字に、心が弾んだのを覚えている。それ以来、MDプレイヤーやパソコン、携帯電話、テレビなど私の暮らしの中にはソニーがあった。

なぜいつもソニーばかり選んできたのか。明確な理由はよく分からない。他社の類似品と比べて割高だったが、飛び抜けて「高品質」という印象はなかった。一定期間が過ぎたら故障する「ソニータイマー」の存在は、周知の事実のように知られていた。強いて挙げれば、時代の先端を切り拓いてきた「ウォークマン」といった製品に、直に触れられるのが嬉しかったのかもしれない。いや単純に、「It's a SONY」「like. no. other」といった企業戦略にハマってしまっただけなのかもしれない。

どちらであれ、愛着があるからこそ最近のソニーを取り巻く環境は悲しい。かつて「ウォークマン」で音楽プレイヤー市場を席巻した勢いはなく、アップルの「i Pod」の後塵を拝している。主力と言われるテレビ市場でも、サムソンに押されて苦戦を強いられている。一体、いまソニーに何が起きているのか。

長年ソニーを取材してきた立石泰則による「さよなら! 僕らのソニー」(文春新書)は、決して完成された一冊ではない。足らない記述が目立ち、憶測が過ぎる個所も多い。だがそれ以上に、私のようなソニーに惹かれ続けた人が抱くであろう疑問、そうソニー凋落の要因について一つの説得力のある視座を描き出している。

立石は、ソニーが持つブランド力をこう表現する。「ソニーという会社の本質は、過去の成功体験や教訓に『解』を求めないことにあると思っている。つねに、未来に、自分の目で見つめる未来の中に『解』を求めてきた会社であると思っている」と述べ、次のように論を展開する。「ソニーは市場があるから商品を開発・販売するのではなく、市場のないところに市場を作り出す商品を開発し、成長してきた会社である」(p100)

そのようなブランド力は、とりわけ2005年にハワード・ストリンガーがCEOに就任してから変化していく。主翼のエレクトロニクス事業を軽視し、コンテンツ事業が利益を上げていくための「道具」に過ぎないと考える彼の経営姿勢は、モノづくりのソニーから映画といったエンターテイメントを重視する「ソニー」に変貌させてしまった―。立石の結論は辛辣だ。「いまのソニーは、私たちに『夢』を与えてくれた、ソニースピリットあふれる私たちの知るソニーではない」(p292)


それはソニーに限定された事象ではない。企業がグローバル化する中で、直面せざるを得ない「自然の摂理」だと言えよう。そうであるなら、なおさらソニーには抗ってほしい。そう願うのは、ヘビーユーザーの単なる「夢」にすぎないのだろうか。

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