2012年4月29日日曜日

≪当たり前の言葉≫を重みのある言葉に


「自動車は走る凶器になり得る」。そんな忘れがちな金言を思い起こさせる痛ましい自動車事故が続いている。4月12日には京都府東山区の祇園で7人が死亡、11人が重軽傷。23日には京都府亀岡市で3人が死亡、犠牲者の1人は妊娠中だったが、母子ともに助からなかった。そして今日29日にも群馬県の関越自動車道で事故が起きた。事故を起こした観光バスの乗客7人が死亡、40人近くが重軽傷を負った。

持病を隠しての免許取得、未成年による無免許運転、居眠り運転と、それぞれの事故原因は多様で決して一括りにはできない。だが、尊い命が失われたという共通する事実は、私たちに改めて「自動車といかに暮らしていくのか」という問いを投げかけているのではないか。

毎日新聞の4月24日付「余録」は、そのような問題意識を読者に伝えるための訴求力を十分に備えていたと思う。自動車が社会に急速に浸透した1960年代と比べ、いま自動車事故による死者が激減していることを指摘。その上で、京都で発生した2件の事故をこう振り返った。「失われた人の命をそんな大ざっぱな数であらわすことの非情と鈍感さを思い知らされるような事故の続発だ」

特筆すべきのは、比喩表現の卓越さだろう。「京都・祇園をつむじ風のように走り抜け」「よく人間の暴力がやっかいなのは、強い爪や牙をもつ動物と違って攻撃を抑える本能が乏しいのに破壊力の大きな武器を持つからだといわれる」。前者の表現によって、多くの読者は当時の映像(テレビなどを通じて多くの読者が見たであろう映像)を想起しただろう。また後者は、自動車事故から人間性の本質へと論を発展させるための導入を、無理なく簡潔に展開することに成功している。

「通学路をはじめ生活道路の安全の点検は何度でも繰り返すべきだ」。結語の一文はシンプルで使い古された《当たり前の言葉》だ。だが、それを重みのある言葉に変化させ、読者に伝えることこそが、書き手の仕事なのだ。そう唸らせる名文に仕上がっていた。

最近の自動車をめぐる報道は、電気自動車や低燃費自動車といったエコ性能ばかりが取り上げられる傾向があるように思う。だが、自動車事故による年間死者数が未だに4600人を超える現実について、今一度目を向けるべきではないだろうか。マスコミは自動車業界から多額の広告収入を得ているため、ネガティブな報道は避けがち―。そんな長らく存在する噂を断ち切る時は、今ではないか。

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